スタッフブログ

2019.12.06

おっきいばぁば

㈱あさひ合同会計 笠井

 11月に5歳になった甥の七五三のお祝いをしました。甥を囲んでの家族写真を撮っていた時、昨年まではそこにいた祖母がいないことを改めて実感しました。90歳のおばあちゃんですから、いつ何があってもおかしくはなかったけれど、4歳の誕生日をうれしそうに祝っていた様子からは全く想像できませんでした。

 小さい時から祖母は私にとって甘える対象ではなくかっこいい存在でした。料理も裁縫も何でも卒なくこなし、おばあちゃんになってもきちんとお化粧をしていました。若い者より自分のほうがなんでもできると自信をもち、努力もする。自分にも他人にも厳しい人でした。

 祖父が亡くなってからはずっと一人で暮らしていました。そばにいてくれた叔父が亡くなり、心配だったので夕食だけ我が家で一緒に食べることにしました。なんでも料理を作るのに、好き嫌いが多くて、野菜が嫌いだと子供のようなことを言うのが意外で面白かったです。歩いて10分程の距離ですがうちは山の上なので、迎えにいくといっても運動になるからと歩いてやってきて、送っていく時は迷惑ばかりかけるといって、老いて自分の思うようにできないことが悔しいとこぼすこともありました。

 昨年末に不調を訴え年明けに病院にいった時には、末期癌と診断されました。最後までしっかりしており、治療方針についても手術・延命治療はしないと本人が決めました。あまり丈夫でない母が看病でそろそろ寝込んでしまうのではないかと心配した頃、そんなことはわかっていますとでも言うように祖父のもとへと旅立ちました。
 他人に迷惑をかけることが何よりも嫌だった祖母らしい最後でした。

 早朝医師から家族を呼んでくださいといわれた3月3日、一度容態が落ち着きベッドの周りから人がいなくなったので、私はなんとなく祖母のそばで様子をみていました。わずかに開いていた口を真一文字にぎゅっとつむんでかすかにしていた呼吸が止まりました。最後の姿をきちんと私に見せてくれたのも祖母らしくてかっこよかったです。