役員コラム

2019.08.05

石川 遼Ⅱ

㈱あさひ合同会計 代表取締役 髙木 正男 

  ゴルフの石川遼選手といえば15歳の時、岡山の東児が丘GCでプロツアー初優勝し、ハニカミ王子として社会現象まで引き起こしていた。その2009年9月に私は「石川遼選手の言葉と心から」と題したコラムを掲載している。高校一年の若さでフィーバーの中心に居ながらも周りの大人への気配りがあり心遣いのある発言に対して、敬意を払うとともにずっと応援していくよ、という内容だった。

 あれから10年、挑戦した米国ツアーもシードを失い傷心の帰国。日本でも思うような成績が残せなくなり、一般の人には「石川遼」という名は忘れられた存在になってしまった。私は彼が米国ツアー参戦中はゴルフ専門チャンネルで予選通過に一喜一憂し、ぎりぎりのシード通過や下部ツアーファイナルを勝ち上がる姿をずっと見守ってきた。平凡な一選手になったと思われてもしかたがない状態の中、私には他の選手とは違う何かを持っているといつも感じていた。しかし今年は腰痛の再発で国内初戦を欠場、復帰戦も途中棄権を余儀なくされ、さすがに立ち直れないのか、とまで思われた。

 ただここで彼は、もう若くない体に気付き、鍛え直しを図り、6月後半の試合で僅かながら光が見えたように思えたが、まだまだ半信半疑であった。とうてい優勝争いも期待できないと思っていた7月の日本プロ選手権。大雨の影響で1日順延となった予選二日間を首位タイで終え、最終日1日で36ホール回る決勝ラウンドの1番でバーディーをとる姿をライブで見た私には復活優勝が頭をよぎった。ただその途端、スコアを一気に崩し首位と7打差まで後退。やはりこんなものか、と落胆して午後のTV中継に。2ラウンド目に入り徐々に持ち直したようではあるが、通常モードの応援をしていた。

 最終バックナインに入り12番でバーディー。もう一段ギアを上げて応援を続けていたら16番でバーディー、さらに17番は相手のミスでとうとう首位に並んでしまう。そしてプレーオフで優勝のイーグルパットが決まった瞬間は本当に感動し、歓喜のインタビューを見て久しぶりに涙した。

 今回のコラムは別の話題を書いていたのに、どうしても遼君のことが書きたくて急遽変更させてもらった。かなり以前から「まだ石川のファンをやっているのか」と呆れられる様になっていたが、真摯な彼を知る私は必ず帰ってきてくれると信じて1043日ぶりの優勝までたどり着いた。もうその瞬間に私の頭の中では、今秋以降3勝以上して賞金王に、来年は海外メジャー挑戦、その後米国ツアー復帰とまで期待と想像が駆け巡る。来年の東京オリンピック代表もまだ間に合うぞ。「たまたま今回一勝できただけ」と言われる方も多いと思う。その通りだったら笑われ者かもしれないが、ファンとはそういうものか。

 選手会長としての苦労も含め大人になった石川遼、周りへの気配り発言も健在である。61歳の私もいつも手本にさせてもらっている。これから数段上の確固たる心技体を掴んだ上で米国ツアー優勝(できればマスターズと言いたい)を手にするまで、必ず追っかけて応援を続ける覚悟でいる。