役員コラム

2018.05.01

カーネーション

㈱あさひ合同会計 取締役 今田 泉美

 今年、母は81歳になりました。
 若い頃の母は自宅で仕立物の仕事をしていました。「仕立物」というと、今ではほとんど耳にしなくなりましたが、昭和50年代くらいまでは、洋服は採寸して仕立ててもらう、という方が結構いらっしゃいました。

 母の仕事場には、お客様がお好みのデザインを自由に選んでいただけるように、いつも数年分の婦人スタイルブック「マダム」が並べてありました。お客様の要望を聞き取りつつ、その場で洋服のデザイン画をさっと描いてお見せしながら決めていくこともありました。制服の仕事もしていましたから、特に入学シーズンには女子高生の採寸・仮縫い・納品と大量の仕事に追われ、深夜までミシンの音がしていました。

 私が一番楽しみにしていたのは、お客様と母が一緒に天満屋の婦人服売り場に出かけ、お好みのデザインを決め、表町商店街の生地屋さんで生地を選び、付属品のボタンやベルトのバックルなども選んで、商店街の喫茶店で一息ついて帰る、というパターンの仕事でした。稀に、私もその場に同行させてもらえることがあったからです。

 次はどんな洋服が出来上がるんだろう、と小学校低学年くらいの私には充分すぎるくらい夢のあるお出かけでした。おそらく、母にとっても、キラキラした時間だったのではないでしょうか。
 ご贔屓にして下さるお客様も結構いらして、いい仕事を、たくさんさせて頂いたと聞いています。その頃の働いている母を真近で見ることができたのは幸せなことでした。

 実は、今回の文章は何度も書き直しをしました。それは、いろんなエピソードやあらゆる感情がありすぎるからだと思います。正直、母のことを苦手だと思っていた時期もありました。どういうところが好きで、どの部分が苦手だったかと分析しているうちに、ほとんど私自身と重なるということに気が付きました。だから、書いてはみたものの気恥ずかしくなって、何度も書き直すことになったのだと思います。

 最近では、あんなに身軽だった母が身のこなしも遅くなっているのを見ていると、苦手だった部分もひっくるめて、たまらなく愛おしくなることがあります。
 「産んでくれてありがとう」と感謝の気持ちも伝えました。母に対して、ずいぶん素直になってきたと感じます。その時の反応は「そうよ!帝王切開で死にそうだったんだから!」でしたが、おそらく照れくさかったのでしょう。お返しに「あなたのような娘で光栄です。」と冗談交じりに付け足してくれました。やはり、母にはかないません。

 近日中に、母のご希望のところに1日付き合う予定です。
久しぶりに表町商店街でお茶でもしながら、ゆっくりと昔のコースを辿ってみるのもいいかもしれません。