花菖蒲の美しい季節がきた。毎年、実家では地植えをした花菖蒲の群生がこの季節を楽しませてくれる。
15年前の父の日、この花を眺めながら病院で父と母と親子水入らずで過ごした。父は働きづめに働いてきた仕事を退職してひと月後、それまで一度も寝込むことなどなかったのに珍しく体調を崩した。検査の結果、食道がんであることがわかった。それもすでに末期であったため、手術も抗がん治療も一切できず、痛みに対する対処療法しかないと診断された。突然、私たちは崖から突き落とされたようで頭が真っ白になった。
我が家は姉夫婦と同居していたので当時8人という大家族だったが、姉は小さい子供を3人抱えていたため、母と私で看病にあたった。当時は告知しないことが当たり前だったので、絶望的な気持ちを勘ぐられないようにと必死に努めて会話した。時々、何もかも本当のことを言って楽になりたい衝動にかられたが、一生懸命こらえた。
仕事が終わってからの毎日の病院通いが長くなり、だんだん心身が追い詰められていった。母も相当つらかっただろうと思うが、「大家族に嫁いだから、この病室でお父さんと二人だけでいると、初めての新婚生活みたいだ」と言って、もともと看護師志望だった母は幸せそうに看護をした。こういう時、母は俄然たくましくなる。
私も母と交代で泊まり込みをしていたが、父というのは娘に気兼ねするものらしく、あうんの呼吸で上手く看護をする母の方がわがままも言えて都合がいいらしい。やっぱり母にはかなわない。娘としては少し淋しいが、両親がこんなに仲がいいとはそれまで正直思っていなかったので、むしろそのほうが嬉しかった。
「新婚生活」だという母と、完全に病気を治しきってからでないと家には戻らないという闘志満々の父の気持ちもむなしく、日に日に悪化していった。病状は24時間落ち着くことがなく、母と私の手が離せない日々だったが、父の日だけは珍しく数時間ほど安定した。自宅から持ってきた見事な花菖蒲を父はとても喜び、穏やかな一日となった。
『人生には思いがけず、穴がポッカリあくことがある。でも穴があくまで見えなかったものを、穴から見ようとするのも一つの生き方ではないかしら。』渡辺 和子氏
この父の日からわずかひと月後、61歳で亡くなったが、母と私には悲しさをとうに通り過ぎて、父を全力で看取りきることができた充足感があった。病室で父とたくさんのたわいない話をしたし、たくさんの濃密な時間を過ごすことができた。この病気をいただかなければ、私には未だに親孝行をするチャンスがなかっただろうと思う。後悔するとすれば、告知ができなかったことくらいだ。心の奥では気づいていたかもしれない父と、傍らでお互いに最期の言葉を心に納めて、「新婚生活」だといって前向きに、静かに覚悟を決めていった母。両親から何よりもいいものを見せてもらったと感謝している。これは穴があいたがゆえに見えた豊かさだ。
いつ「人生の穴」に落ちるかは、わからない。たとえ落ちたとしても、その悲しさをしっかりと受けとめ、暗さや厳しさにむしろ進んで触れることで、そこでしか見ることのできないものを見つけ出せたなら、また一歩、人生を豊かに生きていくことができるだろう。
平成21年6月 今田 泉美
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