物事を始めるのに、何時からでなければならない、遅すぎるということはない。始める気になったその時から取り組めばよいと考えている。
いい歳をして・・・と言われるような年齢になってからいろいろなことに挑戦、取り組んでいる。
若い頃からの夢であったディンギーと呼ばれる小型ヨット(1〜2人乗り)に取り組んだのは、時に54歳、基本から正しく身に付けようとクラブに入った。以後5年間(毎年5〜10月の間)、牛窓のヨットハーバーへ通った。
ディンギーと呼ばれるヨットは、手漕ぎボートに帆を張ったものをイメージしていただければよい。もちろんエンジンは無く、風が頼りの船で、原油高の現在にはもっとも適した趣味である。
先生は、岡山県ヨット連盟で国体の監督を務められるような一流の方々で、教えを受ける生徒たちは20歳代から私の年齢まで幅広く職業も様々であった。
練習は、午前9時から午後3時過ぎまで、昼休み以外はすべて海の上というハードなもので、特に夏の凪の日の練習は辛かった。
しかし、この5年間、先生方の指導を受けながらヨットの操船以外にも多くのことを学んだ。
時には、国体を目指している高校生と一緒に練習することもあったが、彼らが模擬レースでミスをした時、伴走しているレスキュー艇からのマイクの指示は大変厳しい。しかし、一歩、陸に上がると、高校生たちの勉強の進み具合への気遣いや就職活動へのアドバイスなど、ヨットだけではない、先生方と高校生たちの温かい心のこもった触れ合いを何度も垣間見た。
真夏のある日の練習、少々バテ気味な生徒たちの気配を察してか、「今日は黒島(2キロほど沖の小島)へ行こう。」と声がかかる。
つまり、今日は厳しい練習は止めて、黒島まで自由にセーリングしろということ。そして、レスキュー艇で弁当(ビール付)が届けられて一日島の海岸で過ごそうというのである。こういったメリハリがあったので5年間楽しく練習ができた。
また、練習はハーバーに帰ったら終わりというわけにはいかない。艇の水洗い、帆、ロープ類の片づけ、そしてもっとも大変なのがヨットの艇庫(背より高い棚)への収納である。練習で疲れた体にはきついが、一連の作業を先生方が率先して行われるので、生徒は手を抜けない。
このような、先生方の「指導方法」「遊び心」「率先垂範」は、職場の管理者として学ぶところが多かった。さらに5年間のヨットのトレーニングを通じて、年齢差、さまざまな職業、異なる感性、価値観の方々の知己を得て、現在も交友が続いていることは大きな喜びである。
平成20年12月 光岡 敬一
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