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『楽しむ』
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=奥山ユ・遺稿=
折りにふれ、暇さえあれば、楽しいことを探している。今日の朝、昼、夕方、そして夜、それぞれの時に何か楽しいことはないか、それぞれの時に楽しいことはなくても、一日に一つでいいから、楽しいことはないか。特別のことでなくていい。久しぶりに好きな蕎麦屋へ行くことや、見たかった映画をDVDで観ること、そんなことで充分なのだ。本屋へ行くこと、神社へ参拝すること、人と会うこと、そんな普通のことを大きな楽しみにして予定する。
今日だけでなく、明日、明後日の楽しみを考える。天候の良い日も、暑い日も、寒い日も、それぞれの日に何か楽しいことを探しながら生きる。
毎日の決まりきった生活パターンそのものが、楽しみになると良い。朝の読書、仕事、夕方の運動、食事等々。楽しみを探すこと自体が心をうきうきさせる。それが楽しい。そしてすべての時が楽しみであり、すべての時、幸福感に包まれて生きることこそ、私の人生の目標である。せっかく生きている。楽しくなければ意味がない。
いくら一生懸命、楽しく生きようと努力しても、努力してもまだまだ足りないように思われる。雑駁(ざっぱく)で粗雑な生活でしかなく、限られた生命を愛おしむことに欠けている気がしてならない。
楽しいことを考え続けることを習慣化すると同時に、心にはいつも喜びを感じさせるように努めなければならない。一瞬たりとも、心に不愉快な思いを持たせないという強い決意がいる。心をゆるめてはならない。平常の諸事万事に向き合う心が、それらのことを良いこと、うれしいこと、楽しいことと受けとめる心の形を決して崩さない。常に「すべて良し」と心の中で掛け声をかける。
赤い夕陽に染まった近所の坂道を犬と散歩する。
人生に過不足はないと思う。長い人生で最高の瞬間を生きているという快感が体の奥から湧き出してくる。名状しがたい幸福感に浸りながら、生きるということの素晴らしさを改めて知る。この幸福感と人を愛することの幸福感さえ手に入れたなら、この世に生きた価値は充分である。
平成19年1月 奥山ユ |

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