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『私の宝物』
一日のうちに、ほんの少しの時間でいいから、心が瑞々しくいられる。それが私には一番嬉しく貴いことである。心がしっとりと落ち着いて、周りの世界が美しく輝いて見える。そんな時間が持てることを楽しみに、私は生きて来た。それは私が十代の頃から少しも変わらない。私が生きている限り、これからも変わることはないだろう。心が生き生きと働いて、豊かにものが感じられるなら、他に何もほしいものはない。
葉を落とした雑木林の日溜りに腰を下ろす。凛とした冷気の中に近づく春を感じる。碧い冷たい空を眺めていると、苦悩と希望が入り交じった若い日の心がそのままに蘇ってくる。私の上を四十年の歳月が流れたのが嘘のようだ。或いは歳月は流れなかったと言うべきかもしれない。なぜなら四十年という歳月は長いようでいて、まばたき一つのことだから。早春の冷たい風は折にふれて私を青年に少年にひきもどしてくれる。
古い神社の拝殿の、雨風に痛んで凹凸の激しい床に寝そべる。板の木目を眺めていると、神社を訪れた古今多くの人の足音と息づかいが聞こえてくる。何百年にもわたり降りそそいだ雨や雪、そして強い夏の日射しも感じられ味わいはつきない。
疎林の中で、神社で、私は惚けたように空ろな目で坐して動かない。私は幸せである。
瑞々しい感性さえ働くならば、静思する所が私の王国となり、小さな宇宙となる。
「一枚の葉を手に入れれば、宇宙を手に入れることができる。」
画家の安田靫彦が小倉遊亀に送った言葉である。
心に美しい音楽が鳴っている。心に美しい風景が見えている。そうであるなら私は幸せである。感性こそは私の宝物であり、感性を大切に生きることが私が私として生きる根底である。澄みわたる心を失わない、守るためなら隠遁した人たちの系譜に連なることもいとわない。そんなことを思う今日この頃である。
奥山ユ |

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